熊野(ゆや)

ストーリー

平宗盛(清盛の息子)に仕える熊野のところへ、国の母が危篤と知らせる使者(朝顔)がやって来る。宗盛に母の手紙を見せ、帰国を請うが許されず、花見の供をするように命じられる。花見の宴で舞う熊野の心は母を案じ重く沈んでいくばかりである。折りからの村雨で花も散り、そのさまが国の母を思わせ、「いかにせん都の春も惜しけれど馴れし東の花や散るらん」と詠む。それを見てさすがに宗盛も哀れに思い帰国を許し、熊野は晴れ晴れと東国へ急ぐのであった。

熊野、松風、米の飯ってよく言うけど…ねえ…

解 説

熊野はよく解るようで解らない能です。主人公の気持ちの変化がいろいろな方向に考えられるからです。

母の病を悲しむ熊野をなぜ無理やり宗盛は引き回すのか、熊野はイヤと言いながら結局は花見に行き、所望されて舞うもののなぜあまりイヤそうに見えないのか、ちょっと不思議です。最後はそそくさと帰って行きますし…。

で、(あくまでも俗解ですが…)「なれし東(あずま)の花や散るらん」を、東に新しい恋人がいると解釈し、宗盛もそのことを薄々感じていると考えると、辻褄が合うような気がします。(宗盛が強引に熊野を連れ出そうとするのは嫉妬からでしょうし、熊野がイヤと言いながら花見に行くのは宗盛に対して後ろめたさがあるから…)こちらの方が面白い花のある能になるんじゃないかと思ってしまいます。。

最後に帰る姿は病の母を案じてというより、好きなダーリンのもとへ急ぐというふうに見えるのは僕だけかなあ?

「村雨留」の小書がつくと、舞いの途中で村雨が降り、舞いを途中でとめるという型になります。

また、「読次之伝」(よみつぎのでん)の小書は、常は「見るまでも無なし、それにて高らかに読み候へ」という宗盛の台詞が「さらば諸共に読み候べし」となり、熊野の母の手紙を熊野と宗盛が交互に読みます。

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