東求女塚
(神戸市東灘区)血沼壮士(ちぬのますらお)の墓と言い伝えられます。大阪湾を昔「茅渟の海(ちぬの海)」といったそうですから、血沼壮士は大阪の方の人だったのでしょう。もう一人の兎原壮士(うないおとこ)の兎原とは現在の芦屋周辺とのことです。謡曲の方では小竹田男子と血沼の丈夫とありますが、小竹田とは血沼といわれる地域の一部であると林望氏は指摘されています。とすると、小竹田も血沼も同じ所となってしまいますね。
東求女塚は残念ながら墳墓の形はもう残っていません。「東求女塚公園」(西求女塚も「西求女塚公園」になっていますが)の真中に石碑がたてられているだけです。墳墓としての形もなく、埋蔵品も東京国立博物館に収蔵されてしまっているので、神戸市民としてはちょっとさびしいです。

墳墓としての形は失われたが、石碑は3つの塚の中では最も立派だった。

桜の季節は花で碑も引き立つだろうと思われる。手前は公園。まだ幼稚園ぐらいの男の子がお父さんとキャッチボールを楽しんでいた。