「箙」「生田敦盛」謡跡
一連の「平家もの」で必ず出てくる「生田の森」。「布引の滝」「須磨浦」と並んで歌枕としても有名なところでしたが、今や神戸一の繁華街となってしまいました。昔日の面影を残すのは、生田神社の境内かなと思い、境内で見つけた若武者たちの夢の跡を紹介します。
生田神社
(いくたじんじゃ) ★簡単地図はこちら★神功皇后(神戸には神功皇后伝説が大変多い)が、朝鮮半島から帰還する際、この辺りの海で船が進まなくなったので、椎日女尊(わかひるめのみこと)を活田長峡(いくたながお)の地にまつったという記事が「日本書紀」に出てくるそうで、それが生田神社の始まりであるといわれています。
生田神社近くの町名に「北長狭(ながさ)通」というのがありますが、活田長峡の「長峡」が転じたものかもしれませんね。
また、朝鮮半島から使者が来た折は、ここで作られた酒でもてなし、この神社の「神戸(かんべ=神社に仕える者)」が、現在の「神戸(こうべ)」の地名になったともいわれています。
名勝でもあり、「枕草子」(能因本)にも「森は…生田の森」と記されており、和歌も多く詠まれ、境内に多くの歌碑があります。
でも、今や昔日の面影の全く消え失せたネオンちかちかの繁華街。
このものすごーい変容を、敦盛や景季はどう見るのでしょうね。
「箙」解説
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