![]()
神戸の須磨区は謡跡の宝庫。「松風」「玄象」「須磨源氏」「敦盛」「忠度」などなど…。
ここでは、人気曲「松風」にちなむ旧跡を紹介します。
簡単な周辺案内はこちら松風村雨堂
須磨離宮公園への道である離宮道と山陽電車線路の交差点にあります。「松風村雨堂」は行平が都へ去った後、髪を下ろして尼になった二人の庵跡だとのことで、小さい祠には、行平が二人への形見と置いていった狩衣と烏帽子を掛けたといわれる「衣掛の松」の古株と、二人の供養塔があります。
鏡の井と松風村雨供養塔
(須磨・多井畑)「神戸の伝説」(田辺眞人著・神戸新聞総合出版センター)という本を読んで初めて知ったのですが、松風村雨の本名はもしほ・こふじといって、須磨の浜の乙女ではなく山の奥・多井畑(たいのはた)村の村長の娘だったという伝説があるそうです。二人は須磨の浜に塩を汲みに来て行平に見初められ、そのまま浜に住むようになったということです。
晩年二人は多井畑に帰ったということで、多井畑には二人の墓といわれる小さな石塔と二人が鏡としてのぞいていたという井戸の跡もあります。
多井畑は須磨の駅からバスで20分ほどのところ(便数は少ない)。奈良時代に創建された多井畑厄神が威容を誇り、山を削っての開発も進んでいるようですが、山村ののどかさがまだまだ残るところです。
|
↑松風村雨堂にある祠。初代の衣掛けの松が根株だけ保存されています。手前にあるのは現在の衣掛松 |
↑多井畑町にある二人の供養塔。海と山が迫ったこの須磨では、人々は山の民でもあり、海の民でもあったのです。「忠度」の前シテもそう言っていますね。 |
|
多井畑にある二人が姿を映したといわれる「鏡の井」。供養塔も鏡の井もごく普通のおうちの裏庭にあります。 |
|
最寄の駅は山陽電車の「月見山」ですが、行平がこの辺りにわび住まいをしていた折、秋の月を見に行ったことからついた地名だといわれ、またこのお堂があるあたりを「衣掛町」というのも行平が松に衣を掛けて去ったことが由来といわれています。
「わくらばに問う人あらば須磨の浦に藻塩たれつつわぶとこたえよ」
須磨での生活をこう詠んだ行平ですが、今は住宅街となり海岸線もかなり南に下がって、阪神間唯一の海水浴場として夏季はにぎわっています。遠足で人気のスポット須磨水族園もあって、行平のわび住まいの風情はあまり感じられません。それでも整備された須磨の海浜公園の松林沿いを歩けば、秋の月影に塩を汲む乙女に思いを馳せることはできるでしょう。
(取材に失敗しました。休日の朝から出かけて写真を撮るつもりが、目覚めれば早昼近く。あわてて出かけましたが、海岸沿いにたどり着いた時はとっぷりサンセット。松林と海岸線の写真は撮影できずじまいでした。うっうっうっ…)
それにしても…。
姉妹で一人の男性を好きになるのってどういう気持ちなんでしょう?現在ならキャスティング次第で視聴率がとれるテレビドラマになりますよね。
古代では姉妹を奥さんにするのって、わりに行われていたようですね。「伊勢物語」の「おんなはらから」の段も有名ですし…。
でもやはり嫉妬はお互いの胸に渦巻いていたでしょうね。肉親だけに余計その思いは強かったのではないかな…。
風雅の物語に邪推は禁物なのでしょうが、人家の庭の片隅にひっそり立っている二人の供養塔を見ていると、美しい恋物語の伝説に埋もれてしまった姉妹の苦しい葛藤を想像せずにはいられなくなりました。やっぱり好きな人は独占したいですもの…。